新富町の歴史
新富町の歴史
当地域は江戸時代には武家地であった。
1868年(明治元年)、築地の外国人居留者を目当てにした新島原遊郭が置かれた。
新吉原遊郭の中万字屋弥兵衛、中屋宗四郎の2人が願い出て、新たに借地を賜ったものである。
しかし、思い通りの集客が得られず、1871年(明治4年)6月取り払いを命じられ、花街は新吉原に移転し、新富町が成立した。
翌年の明治5年に新富座が開場されるが、のちに関東大震災により焼失し、そのまま再建されることなく廃座となった。
1971年(昭和46年)、住居表示の実施にともなう町名変更で「町」の字がなくなり、「新富」の地名となる。
現在は主にオフィスビルと中小の商店、住宅が混在する地域となっている。
地名の由来については、旧来からの大富町に対して付けられたという説と、新島原と大富町からそれぞれ一字をとったという説がある。